本物の自分
どうもこんにちは。
今日は朝起きて大学行ってご飯食べて帰ってきてなんやかんやして今に至るのでまぁいわゆる何もしていないに近いですね。
環境実験が、野外で植物を採取してきて植物図鑑で何の植物かを同定して、DNAからも何の植物かを同定して、それが一致しているか調べて一致していないならなぜ一致していないかを考えるという実験なんです。
ですがDNAを調べてもリストにない、いわゆる新種の植物であることが稀にあるそうです。その場合は学生の名前でリストに追加するそうです。
そして、今日は採取してきて植物図鑑で植物の名前を見た目から同定していたんですが、やっぱ中々見つからないんですよね。
そのうちみんな口を揃えてこう言います。
「これ新種なんじゃないか……?」
(ここまでまえがき)
今日書く内容についてのキーワードは「自分」と「選択」となります。
以前何かの動画で見たんですが、人間は自分で選択をしていると思っていても本当は選ばされているといったようなことが多々あります。
例えば、ある国では死後の臓器提供を希望している人々が国民の9割以上らしいです。素晴らしいですね。
しかし、またある国ではそれが1割にも満たないそうです。ちなみに日本はこっちです。
なぜこのよう大きな差が生まれるのでしょうか?
臓器提供カードってあるじゃないですか。免許証や保険証の裏とかにありますよね。あれってそれぞれに真逆のことを書いていたらどうなるんですかね?記入した日を書く欄ありましたっけ?
実は、提供希望者数が9割以上の国にはこう書かれています。
「臓器提供を希望しない人は記入しろ」と。
日本では希望する人は記入しろって書いてありますよね。
つまりそういうことですよ。
また、こういった事例もあります。
とある患者がいました。医者は色々な薬を試したが効果なし。これは手術をするしかないかと思っていたところに一つだけまだ試していない薬があることを見つけた。
この場合、多くの医師はその試していなかった薬を試してみます。
しかし、それが少し変わると。
手術をするしかないと思っていたところにまだ試していない薬が二つあると。
これは多くの医者は手術を選択するそうです。
人は選ぶ数を少なくしたいんです。
試していない薬が二つあった場合、手術をするか薬にするかという選択が一つ。薬を選択した場合、どちらの薬を試すかという選択が二つ目。
手術を選択した場合はもう選択することは何もないですよね。
このように人は自分で選んでいると思っていても本当は選ばされているということが多々あるんですね。
本当の自分は何処だ、という具合に。
時間がないのでおわり。